2015年を振り返っていて、何をしたか、さっぱり忘れている自分に気がつく。
そう、まったく記録をとっていなかったからですね。
と、いうわけで、今年は「書く」ことを少し頑張ろうかなと。
というわけで、数年ぶりにホームページをちょっと直してみました。
http://anmonite.shichihuku.com/index.htm
この間、何をしていたのかというと。
イスタンブールに、ケマンチェによく似た
「カバック・ケマネ」という楽器を習いに行き。
帰国後、スカイプで週1日レッスンをしています。
同時に、スカイプでリズムのレッスンも週1ではじめました。
最初は楽しい感じでスタートしたのですが、
だんだんとスパルタになってくよー
どっちのレッスンも!
たいへんです…
その練習の成果。果たしてライブで花開くことができるのか!
こうご期待。
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外国で、本屋さんを発見すると、何故か吸い寄せられる。
イスタンブールでは、というか、
もしかすると、入り浸っていたベシクタシュという街が
そうだったのかもしれないけど、
書店、カフェ、CD、文房具店が1つの建物に入っているケースが多い。
レコード店だと思って入ってみると2階に書籍があったりとか、
書籍と同じフロアにちょっとしたカフェがあったりとか
(レジを通してない本を持って読んでいいのかは謎)
見た目はカフェで、「Cafe & Books」とあり、
ほんまかいな、と思って中に入ると本当に本が並んでいたりなど。
ここの店は(建物撮らなくてすいません。一番上が店名。ついで住所なはず)、
入ってすぐがDVDやCDがあり、奥に文房具、
2階に書籍とちょっとしたカフェ
地下はたしかカフェと記憶している。
トルコの民族衣装や織物、刺繍などの伝統的なハンドメイド、
または、タイルに関する本が欲しかったのだが、
…なかった(涙。。。
「イスタンブール」というコーナーがあって
風景の写真集みたいなのはあったのだが…
アート関連だと、日本でいう美術書みたいなのはあったけど…
趣味関連では、料理の本はけっこうあったのだが、
手芸はフランス刺繍?の本しかない。
トルコでは手芸は本でなく、人から学ぶものかもしれない。
その代わりといっては何だが音楽関連は充実していた。
トルコ語が読めないので、表紙から判断するしかないのだが、
バイオリンやネイ(トルコの笛)などの教則本、
トルコのマカーム(音階、旋法などいろいろな意味がある)の
法則について書かれた本(見るからに難解)
人気歌手セゼン・アクスの伝記(だと思う。写真がいっぱいあったし)、
など硬軟合わせていろいろあった。
気になったのが、「Kurt Cobain」というタイトルの本で、
表紙はあのカート・コバーンなのだが、
中身が全部トルコ語で写真がまったくなく、
果たして彼の伝記なのかは不明。
あとトルコのロック史を写真でつづったような本もあった。
70年代風長髪率高い。
ワン・ダイレクションの本は、音楽コーナーでなく、
人気書ぽいコーナーに数冊置いてあったりなど、
西洋のロック・ポップスはトルコでも相当人気が高そうだ。
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著者は、添乗員、ホテルなど、観光業界の豊富なキャリアを持ち、
ロンドンに4年間滞在、ということで
さぞかしレアな話題が…と期待したのですが。
この本。日本批判、
イギリスでは○○だけど、日本では××…といったことに
かなりの行数が費やされていて、肝心の情報は思った以上に少ない。
海外通が陥りがちな罠にはまってしまっているのだが、
出版社の人。このあたり書き直しさせるとな何かできなかったのでしょうか…
それでも情報を拾ってみる。
・ロンドンで治安が悪いのは地下鉄の
Victria LineとNorthern Line がテムズ川の南で交わるあたり
・日本人を狙うスリはPicadilly Curcusの日系デパートの前あたりが多い
・置き引きが多いのは、日本人客の多いホテルのロビー。
チェックイン時が狙われる。
荷物はドアマン(Doorman)に預ければ安心。
・フィッシュアンドチップスの美味しいところはホテルのコンシェルジェに尋ねる、
もしくは評判のよいレストランで
・海岸沿いの街なら新鮮な魚がある=フィッシュアンドチップスが美味しい店がある
・中華料理はソーホーのチャイナタウンが本場の味
・イギリスでポテトチップスは「Crisps」といい「Walkers」が定番
・チョコレートバー(Bar of Chocolate)も豊富にある。
定番はCadbury社のもの
・ハロッズでは、よそで買った品物を、
ハロッズの包装紙でラッピングしてくれるサービスがある
…って書いてあるけど本当なんだろうか。。。
・ロンドンの公園は広々としてかなり落ち着ける。
オススメはRegent's Park。
https://www.royalparks.org.uk/parks/the-regents-park
近くにモスクがあるらしい…ということで調べてみると
ココ
London Central Mosque
http://www.iccuk.org/
これは、もうちょっと前に知りたかった。。。
大体こんなものか、あと暮らしてみる編では
・イギリスの賃貸(Flat)は一般的に家具つき。
入居時に二か月分(一か月分はデポジット)払う。
日本の敷金、礼金にあたるシステムはない。
賃貸契約は通常1年だが、期間は1年マイナス1日なのが慣例。
・イギリスでは郵便局が多機能らしい
・医療はNational Insurance(国民健康保険か)に加入し、
National Health Service(NHS)で診療してくれる
医療機関でかかると安上がり(だけど激混み)。
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という題名なのですが、本の半分以上は
音楽(アイルランド、スコットランド、ウェールズ)
の話題。
膨大な量のアルバム、アーチストが紹介されてます。
その中で気になったのを聴いてみました。
Fiddlers' Bid
スコットランドのグループ。
フィドル(バイオリン)4人!
これは、良い!
ペルシア絨毯の技法やデザインなどについて
触れた本はかなりあるのですが。
これは主に「流通」について。
なかなか面白かったのでメモぽく箇条書きにしてみた。
面白いと思ったのが、イラン、トルコとも、欧米に絨毯が売れるとわかると
大規模な工場を作るようになるのと。
中央に花のメダイヨンがある、絨毯の代表的な絵柄は
もともとはヨーロッパ人の好みに合わせて作ったものであることなど
目からウロコでありました。
残念ながら家に高級絨毯はないのですが
「絨毯の話」はなぜか心惹かれるものがあります。
●ペルシャ絨毯
V&Aの「アルダビール絨毯」:ペルシャ絨毯の最高傑作といわれる
(床に敷かれている巨大絨毯がそれです)
イラン、絹の生産(16世紀くらい)&輸出
タブリーズから
アルメニア商人 アレッポ、イズミール→ミラノ、リヨン
1867年蚕の病気の影響
絨毯へ輸出
1878年絨毯が生糸の輸出額を抜く
ヨーロッパの需要
産業革命
万博 1873年ウイーン万博
カーペットを流通 商人
ツイグラー商会(本店、マンチェスター)
イランとイギリス
イギリスの綿 リバプール→イスタンブール→イラン(タブリーズ)
イランの絨毯→イギリス
1881年ソルタナーバード(アラーク)に絨毯工場
立地が良い
ソルタナーバード→ハマダーン→ケルマンシャー
→バクダッド→バスラ→(ペルシャ湾)→ヨーロッパへ(計画)
ソルタナーバード→タブリーズ→イスタンブール→ヨーロッパ(実際)
絨毯のサイズをヨーロッパの需要に合わせる
デザイン:中央に花のメダイヨン←マンチェスターの絹織物のプリント地にヒントを得る
1890年代タブリーズに絨毯工場
男性(少年)を雇う
トルコ結び(アゼルバイジャン地方なので)
タブリーズ商人:問屋制家内工業
アゼルバイジャン・トルコ系
カフカースの諸都市→エルズルム→トラブゾン→イスタンブール→ヨーロッパ
イスタンブール:絨毯の取引 ヨーロッパとの中継貿易地
ケルマーン
イラン各地の絨毯生産地
タブリーズ、イスファハーン、ケルマーン、マシュハド
アゼルバイジャン地方、ホラーさーん地方。
シャーセバン族、トルクメン族
ザクロス山脈 クルド族、ロル族、バフティヤーリー族
南部 カシュガイ族
●トルコ絨毯
産地
ヘレケ:絹の絨毯 ペルシャ絨毯の影響が強いデザイン
オスマン帝国
1860年代 絨毯を輸出
イズミル:貿易港
産地:ウシャク
商人:ヨーロッパ人、アルメニア、ギリシア人
1890年代さらに内陸部へ
1908年 オリエンタル・カーペット製造会社設立
本拠 イズミル イギリス、フランス、イタリアの6つの商会がつくる
直営工場をもつ
1913年 オリエンタル・カーペット製造会社が
アナトリアの絨毯の3/4の生産
オスマン帝国の絨毯 90%がイズミルから海外へ輸出
イスタンブール:イラン、カフカス、中央アジアからヨーロッパの中継地
第一次世界大戦が終わり、オスマン帝国が滅ぶと、トルコ絨毯の輸出が落ち込む
1930年代オリエンタル・カーペット製造会社が解散
第二次世界大戦後
絨毯の流通
ロンドン
ハンブルグ
イラン商人が1960年代くらいから活動
ハンブルグからペルシャ絨毯を欧米へ
現代の産地 ギリシア、アルメニア商人が生産まで支配
中央部:コンヤ、ラディク
カッパドキアのアヴァノス、ユルギュプ
カイセリ、ピュンヤン
南:ニーデ、ヤフヤル
西南部:イスパルタ、ブルドゥル
東部:シヴァス、カルス
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と、いうわけで、食べてきました。
ちなみに、アゼルバイジャンといって連想するのが、
トルコとイランの間くらいにある。
ちょっと前まで隣国アルメニアと紛争をしていた。
石油バブルで潤っていて、
2012年のユーロビジョンは、首都バクーで開催されたり
オリンピックの開催地に立候補するなど、イケイケな感じ。
民族楽器はkamancha
azerbaijan kamanchaでYoutube検索すると
トップで出てきた動画
料理については、まったく知識がなく、
トルコ料理に近いのかなと妄想してたら。
あたらずとも遠からずな感じでした。
クタブ
中はホウレンソウとハーブ。
これにガーリックヨーグルトをかけるところが
トルコ料理に通じるものが…
バターも効いてておいしかった。
※2~4人で一皿頼むとちょうどいい感じ。
ギョーザ
皮が厚めでモチモチした感じのギョーザでした。
※3人以上で一皿頼むとちょうどいい感じ。
キュフタ ボズバシュ
ミートボールを割ってみたところ。
かなりじっくり煮込まれてました。
個人的にひよこ豆がツボだった。
※2人で一皿頼むとちょうどいい感じ。
かなり、香草やスパイスが入っていると思うのですが、
辛くは、ないです!
味はどちらかというと洋風なのか…
アジアとヨーロッパのいいとこ取りな感がありました。
※上記のメニューは3月いっぱいだそうなので
ご興味のある方はLet's hurry!
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タイの鉄道、全線乗車レポート。
駅、車内、車窓の風景、観光ポイントなど、細かい写真がいっぱい。
行った気になってしまう本。
ちなみに私はアランヤプラテート→クルンテープ(バンコク)
間に乗車したことがあります。
行きはバスでアランヤプラテートまでいき、ボクシング観戦(笑)。
翌日電車で戻りました。
それも、2000年のことなのか(汗。。。
もう、相当うる覚えの記憶なのですが。
アランヤプラテートの駅には切符の自販機などなく。
窓口も一つしかなくて、すんごい暇そうな感じ。
早朝に出発して、発車時はガラガラだったのですが、
またたく間に満席に。
学生さんとか、
キンマをかじったおばあちゃん(勧められてしまった)とか
いろいろな人が乗り降りしてきた。
ただ、この本にもあるのですが、物売りの人が頻繁にやってくる
日本では、こんなの乗って電車に乗らないだろうみたいな
(農作物とか)持って乗る人もいたような…
列車にはエアコンなどなく。
窓を開けるのですが、その窓が
両端にツマミみたなのがあって、それをパチンと外して上にあげるやつ。
…って、昭和世代には懐かしすぎる形状。
原っぱみたいなところに小屋があるだけの「駅」とか
あったあった!
この本にはないけど、バンコク近辺になると。
線路スレスレに住宅があって、
普段は普通に路地として使われているぽかったりしたのが
(一日一往復だからか)衝撃だったりとか、
いろいろ思い出したし、また乗ってみたくなりました。
個人的には、バンコクーチェンマイ間かなあ。
南部も面白そうなんだけど、政情不安がちと…。
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…何と!
左手でハサミが切れるようになってました!
楽器はあまり上達してないんですけどね…
動画はケマンチェと、ほぼおなじ形。
ウズベキスタンのGijjakなですが
自由すぎ…