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永田義文 著 明石書店
という題名なのですが、本の半分以上は
音楽(アイルランド、スコットランド、ウェールズ)
の話題。
膨大な量のアルバム、アーチストが紹介されてます。
その中で気になったのを聴いてみました。
Fiddlers' Bid
スコットランドのグループ。
フィドル(バイオリン)4人!
これは、良い!
坂本 勉 山川出版社
ペルシア絨毯の技法やデザインなどについて
触れた本はかなりあるのですが。
これは主に「流通」について。
なかなか面白かったのでメモぽく箇条書きにしてみた。
面白いと思ったのが、イラン、トルコとも、欧米に絨毯が売れるとわかると
大規模な工場を作るようになるのと。
中央に花のメダイヨンがある、絨毯の代表的な絵柄は
もともとはヨーロッパ人の好みに合わせて作ったものであることなど
目からウロコでありました。
残念ながら家に高級絨毯はないのですが
「絨毯の話」はなぜか心惹かれるものがあります。
●ペルシャ絨毯
V&Aの「アルダビール絨毯」:ペルシャ絨毯の最高傑作といわれる
(床に敷かれている巨大絨毯がそれです)
イラン、絹の生産(16世紀くらい)&輸出
タブリーズから
アルメニア商人 アレッポ、イズミール→ミラノ、リヨン
1867年蚕の病気の影響
絨毯へ輸出
1878年絨毯が生糸の輸出額を抜く
ヨーロッパの需要
産業革命
万博 1873年ウイーン万博
カーペットを流通 商人
ツイグラー商会(本店、マンチェスター)
イランとイギリス
イギリスの綿 リバプール→イスタンブール→イラン(タブリーズ)
イランの絨毯→イギリス
1881年ソルタナーバード(アラーク)に絨毯工場
立地が良い
ソルタナーバード→ハマダーン→ケルマンシャー
→バクダッド→バスラ→(ペルシャ湾)→ヨーロッパへ(計画)
ソルタナーバード→タブリーズ→イスタンブール→ヨーロッパ(実際)
絨毯のサイズをヨーロッパの需要に合わせる
デザイン:中央に花のメダイヨン←マンチェスターの絹織物のプリント地にヒントを得る
1890年代タブリーズに絨毯工場
男性(少年)を雇う
トルコ結び(アゼルバイジャン地方なので)
タブリーズ商人:問屋制家内工業
アゼルバイジャン・トルコ系
カフカースの諸都市→エルズルム→トラブゾン→イスタンブール→ヨーロッパ
イスタンブール:絨毯の取引 ヨーロッパとの中継貿易地
ケルマーン
イラン各地の絨毯生産地
タブリーズ、イスファハーン、ケルマーン、マシュハド
アゼルバイジャン地方、ホラーさーん地方。
シャーセバン族、トルクメン族
ザクロス山脈 クルド族、ロル族、バフティヤーリー族
南部 カシュガイ族
●トルコ絨毯
産地
ヘレケ:絹の絨毯 ペルシャ絨毯の影響が強いデザイン
オスマン帝国
1860年代 絨毯を輸出
イズミル:貿易港
産地:ウシャク
商人:ヨーロッパ人、アルメニア、ギリシア人
1890年代さらに内陸部へ
1908年 オリエンタル・カーペット製造会社設立
本拠 イズミル イギリス、フランス、イタリアの6つの商会がつくる
直営工場をもつ
1913年 オリエンタル・カーペット製造会社が
アナトリアの絨毯の3/4の生産
オスマン帝国の絨毯 90%がイズミルから海外へ輸出
イスタンブール:イラン、カフカス、中央アジアからヨーロッパの中継地
第一次世界大戦が終わり、オスマン帝国が滅ぶと、トルコ絨毯の輸出が落ち込む
1930年代オリエンタル・カーペット製造会社が解散
第二次世界大戦後
絨毯の流通
ロンドン
ハンブルグ
イラン商人が1960年代くらいから活動
ハンブルグからペルシャ絨毯を欧米へ
現代の産地 ギリシア、アルメニア商人が生産まで支配
中央部:コンヤ、ラディク
カッパドキアのアヴァノス、ユルギュプ
カイセリ、ピュンヤン
南:ニーデ、ヤフヤル
西南部:イスパルタ、ブルドゥル
東部:シヴァス、カルス
西武新宿線の野方にある、「ととら亭」で
http://totora.sakura.ne.jp/
期間限定で、アゼルバイジャン料理を出しているらしい…
と、いうわけで、食べてきました。
ちなみに、アゼルバイジャンといって連想するのが、
トルコとイランの間くらいにある。
ちょっと前まで隣国アルメニアと紛争をしていた。
石油バブルで潤っていて、
2012年のユーロビジョンは、首都バクーで開催されたり
オリンピックの開催地に立候補するなど、イケイケな感じ。
民族楽器はkamancha
azerbaijan kamanchaでYoutube検索すると
トップで出てきた動画
料理については、まったく知識がなく、
トルコ料理に近いのかなと妄想してたら。
あたらずとも遠からずな感じでした。
クタブ
中はホウレンソウとハーブ。
これにガーリックヨーグルトをかけるところが
トルコ料理に通じるものが…
バターも効いてておいしかった。
※2~4人で一皿頼むとちょうどいい感じ。
ギョーザ
皮が厚めでモチモチした感じのギョーザでした。
※3人以上で一皿頼むとちょうどいい感じ。
キュフタ ボズバシュ
ミートボールを割ってみたところ。
かなりじっくり煮込まれてました。
個人的にひよこ豆がツボだった。
※2人で一皿頼むとちょうどいい感じ。
かなり、香草やスパイスが入っていると思うのですが、
辛くは、ないです!
味はどちらかというと洋風なのか…
アジアとヨーロッパのいいとこ取りな感がありました。
※上記のメニューは3月いっぱいだそうなので
ご興味のある方はLet's hurry!
藤井 伸二 著 イカロス出版
タイの鉄道、全線乗車レポート。
駅、車内、車窓の風景、観光ポイントなど、細かい写真がいっぱい。
行った気になってしまう本。
ちなみに私はアランヤプラテート→クルンテープ(バンコク)
間に乗車したことがあります。
行きはバスでアランヤプラテートまでいき、ボクシング観戦(笑)。
翌日電車で戻りました。
それも、2000年のことなのか(汗。。。
もう、相当うる覚えの記憶なのですが。
アランヤプラテートの駅には切符の自販機などなく。
窓口も一つしかなくて、すんごい暇そうな感じ。
早朝に出発して、発車時はガラガラだったのですが、
またたく間に満席に。
学生さんとか、
キンマをかじったおばあちゃん(勧められてしまった)とか
いろいろな人が乗り降りしてきた。
ただ、この本にもあるのですが、物売りの人が頻繁にやってくる
日本では、こんなの乗って電車に乗らないだろうみたいな
(農作物とか)持って乗る人もいたような…
列車にはエアコンなどなく。
窓を開けるのですが、その窓が
両端にツマミみたなのがあって、それをパチンと外して上にあげるやつ。
…って、昭和世代には懐かしすぎる形状。
原っぱみたいなところに小屋があるだけの「駅」とか
あったあった!
この本にはないけど、バンコク近辺になると。
線路スレスレに住宅があって、
普段は普通に路地として使われているぽかったりしたのが
(一日一往復だからか)衝撃だったりとか、
いろいろ思い出したし、また乗ってみたくなりました。
個人的には、バンコクーチェンマイ間かなあ。
南部も面白そうなんだけど、政情不安がちと…。
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ショップは今春オープン予定
ビーズ曼荼羅などを出品するつもり。